『秋』が永久の旅立ちをしました


 2005年11月1日AM1時36分に『秋』が永久の旅立ちをしました

 2000年4月20日、300gでライトハウスで生まれ、色々な紆曲を経て2001年11月1日1歳半の時、縁あって『秋』と出会い家族になりました。

当時の『秋』は癲癇という持病があり、人を愛したいという気持ちを拒否されてしまい、眼は常にうつろでガラス玉の様でした。感情表現も無く、心を壊された姿は、まるでズタズタに傷つけられた人形のようでした。

その『秋』が皆様から温かさを頂き、声をかけて頂き、触れて頂き、愛情をかけて頂き、可愛がって頂き、少しずつ、少しずつ、日数年月をかけて壊された心が癒されていきました。『秋』本来の心が豊かで、穏やかな優しい性格を取り戻し、その姿をまた皆様に愛して頂き、今日に至っておりました。

これも全て慈しんで『秋』に親しんで頂いた皆様のお陰と感謝しています。ありがとうございました。

亡くなる2日前の10月30日(日)は、Lucinoと共に朝から大好きなドライブを楽しみました。翌日の10月31日(月)は、普通に「あわづ動物病院」に出勤しました。帰宅後は、お散歩の後しっかり晩ご飯をいただき、食いしん坊の『秋』はもっと欲しいとおねだりするほどでした・・・

我が家の犬たち「りさ」「麻依子」「Lucino」達と一緒に12時近くまで、ごくごく普通の生活、普段とかわらない時間を過ごしていました。自分のお気に入りの椅子でくつろいでいた『秋』に、11月1日AM12時40分から突然癲癇の痙攣が始まり、いつもより時間が長く1時間近く痙攣が続きそのまま息を引き取りました。

『あっ』という間の出来事でした。

『秋』は
2001年11月1日に私と出会い、
2005年11月1日AM1時36分に旅立って行きました。また
2004年11月1日は「Lucino」の誕生日でもありました。

「Lucino」は『秋』を母と慕い、実質『秋』が「Lucino」を育ててくれました。

11月1日、「当日は皆で記念日をお祝いをしましょうネ」と楽しみにしていただけに、

この哀しい現実を今も受け止めかねています・・・・・

『秋』の分離不安と癲癇は、『秋』と私の絆をより強く深いものにしてくれました。

共に時間を共有できて、本当に、本当に幸せでした!!!

生まれて5歳半、一緒に住んで僅か4年の生活でしたが、
『秋』は他の子に比べて倍速で人生を駆け抜けたのでは・・・と思います。

皆様『秋』を愛して頂き、可愛がっていただき、
本当にありがとうございました
『秋』になりかわりまして、心から御礼申し上げます

秋の写真をどうぞご覧ください


秋の1才半から3才半までの記録です


                           2003年9月3日

秋と出会ってもうすぐ2年になります。

今、私の手元に盲導犬のパピーとして育てられ、ハーネスを付けた訓練まで受けたにも関わらず、遺伝性癲癇のためリジェクトせざるを得なかった「秋ちゃん」と

先天性心疾患で心臓にコイル装着手術の実験犬で、半年後に心臓標本になる予定だったマルチーズの「麻依ちゃん」がいます。

秋ちゃんは、2000年4月20日生まれのまだ3歳半なのに・・・・・

人間が大好きで、人に愛されることに喜びを感じている犬が、人間に拒否され、期待を裏切られ続けられると、ここまで心も身体も病み、人格(犬格)が破壊されるのだと・・・・・  知りました。

今日は「秋ちゃん」のお話を聞いて下さい。

秋ちゃんは、2000年4月20日にライトハウスにて300gで生まれ、ウーピーと名づけられた2匹姉妹の1匹です。

血統的にはとても優秀らしく、オーストラリアから直輸入された両親の子犬で、腹違いの雄犬は韓国で盲導犬の種雄として送られました。

?  ウーピーのパピーウォーカー(PW)さんは初めての方だったそうです。生後10ヵ月で初めて痙攣発作をおこしたと聞きました。獣医さんに受診されて癲癇の診断を受け、とても強いショックを受けられたようです。その時の痙攣も相当激しく、また回数も繰り返していたように報告書に書かれています。それまでのウーピーは愛情たっぷりに育てられていたのだと思います。しかし、PWさんは恐怖が強かったのでしょう・・・・・

ライトハウスもリジェクトするにはあまりにも惜しい血統だったらしく、ベテランのPWさんの助けを借りながら、半年間は盲導犬としての訓練をしたそうです。

ウーピーは写真を見ていただいても解かると思いますが、いかにも盲導犬らしく・・・・・  一見とても格好が良く、優しそう、賢そう&フレンドリーです。リジェクト犬の希望者は沢山いて、希望者とのお見合いは数十回を超えたそうです。

皆さんウーピーを一目見るととても気に入り、人間大好きウーピーは大喜び・・・・・ でも、癲癇の話がでると手のひらを返した様に態度が変わり、その度に面会が終わる時はまるで死刑場に引かれる様に犬舎に帰って行ったそうです。

?  最後の方になりますと、面会人の様子に眼も虚ろ状で、頭は垂れ下がり、自分から犬舎に戻って行ったと聞いています。

面接で断られる度に、表情が鬱状になっていったそうです。(PW談)

?  その間でも、リジェクト犬を救う会のPWさん達も自宅に預かったり飼って頂ける家庭を探したりと努力された様ですが、激しい癲癇性の繰り返す痙攣に諦めモードになっていたそうです。もし飼って頂ける方がいても生涯お薬が要ります。飲んでいても何時痙攣が起こるのか不安です。 

そのような時に私の所に連れてこられたのです。(私はしつけ教室用にリタイア犬を申し込んでいました。)

私と初対面の時も「おとなしい、表情の乏しい犬だなぁ〜」が第一印象でした。

その時の状況は、

1トイレが認識できない。・・・・・・・・・・所構わずなのです。
2トイレの号令がわからない。・・・・・・教わったという言葉の全てを試しました。
3トイレの時間も定まっていません。
4食事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・待てが出来ず、手段を選ばずに食べ物を取る。
小石などのぞばにある物は何でも口に入れる。

5言葉に対して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シットに反応しますが、シット=ダウンです。
他のコマンドは全て不十分でした。
6何に対しても興味がない・・・・・・・・・ 遊びも全くしません。
7無表情、無反応

でも、「2〜3日預かってみましょう。」となりました。


2001年11月1日、私とウーピーが初めて出会った日、名前を『秋』に変えました。

感情のないガラス玉のような目で見るのです。名前を呼ぶとお愛想に顔をあげ、シッポを2、3回振るのですが、すぐに無表情になるのです・・・・・・。

トイレは2時間ごとに外に出しましたがトイレはしません。夜、昼の区別がありません。お部屋の中でモリモリと大小便をします・・・・・・。

言葉に反応しません。これが本当にトレーニングを受けた犬でしょうか?

泣きたかったです。後悔もしました。そして数日が経ちました。

相変わらずトイレに四苦八苦しています。&私の背中に刺すような視線を感じるのです。常に見つめられています。少しだけ1匹で置いていたら、玄関のガラス戸が割られました。

あわづ動物病院で私が席をはずしたら、アルミのドアや壁に深い、深い傷跡が無数につけられました。姿が見えないといって大声で泣き続けるので、沢山の苦情のTELを頂きました。まるでストーカーです。しかも『秋』に強く我慢をさせた後には痙攣が出るのです。

24時間ホルター心電図を10日間付けて自律神経との関係も調べてみましたら、ストレスがかかってる時に痙攣が非常に出やすいと関連性のあることが解かりました。

11月が来ますと『秋』と出会って2年になります。

分離不安症は最初に比べますと、少し、いいえ大分?!改善してきました。ストーカー行為も少しだけマシになりました。

痙攣も「条件さえ整えば?」・・・・・・仲の良いお友達です。

痙攣が起こると『秋』は、今まで学習してきた事も、自分の名前さえも忘れてしまいます。脳の細胞が壊されるからです。意識が戻るとまた名前を刷り込み、今まで教えたことを教え直しています。それを毎回、毎回繰り返して『秋』の人格復帰をしています。

(リサや麻依の力を借りて・・・・・)

自信のある時の『秋』の眼はキラキラしてとても魅力的で、しつけ教室の皆さんの憧れの的です。まだまだハンデを沢山持っていますが、自分を取り戻して来た『秋』がここにいます。

『秋』に出会って6ヵ月程した時にPWさんが話してくれました・・・・・・

・・・・・あのとき、私が引き取らなかったら、彼女はもうこの世にいなかったのだと・・・・・


初めて秋と出会った時からの2年近くは秋にとって自分の心を取り戻すのに必要な歳月でした。てんかん症状は強い弱いの差こそあれ、生涯のおつきあいでした。

この最初の2年間の経過を経て、その後の秋の人生は愛される喜び、そして人や動物たちに信頼される幸せと、その信頼に応える幸せを頂きました。

小さなお子さんや子犬子猫たちは秋の大きな体にやすらぎとやさしさを、臆病な子たちは安心感を、飼い主の皆様には自信とくつろぎを与えてくれました。

これこそ何よりも秋が望んでいた人生だったと思います


     2005年11月8日

                    粟津 牧子

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